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なぜフィリピンは親日なのか?データや歴史から解説!

フィリピンを訪れた多くの日本人旅行者が感じるのは、現地の人々の温かい歓迎と親しみやすさです。街中で「こんにちは!」と日本語で声をかけられたり、日本のアニメや文化について話しかけられることも珍しくありません。実際、フィリピンでは日本のドラマやアニメがテレビで放送されており、日本文化への関心が高いことが伺えます。

この記事では、フィリピンが親日国とされる理由を、歴史・文化・人の交流といった視点からわかりやすく解説します。

フィリピンは本当に親日?実際の声とデータから見える好印象

フィリピンの日本に対する好感度

近年の調査によると、フィリピン人の多くが日本に対して好意的な感情を抱いています。例えば、アウンコンサルティング株式会社では、フィリピン人の約77.1%が日本を「大好き」と回答しており、調査対象国の中で最も高い数値となっています。

訪日フィリピン人観光客の増加

日本政府観光局(JNTO)のデータによれば、2023年の訪日フィリピン人観光客数は約62万人に達し、過去最多を記録し国別訪日客数ランキングでは第7位となりました。この増加は、日本の文化や観光地への関心の高まりを示しています。

さらに、デジタル決済企業Visaが2023年に発表した「Green Shoots Radar」調査によると、フィリピン人回答者の24%が過去1年間にレジャーまたはビジネス目的で海外旅行をしたと答えています。

その中で、2023年に日本を訪問する予定と回答した人は32%にのぼり、レジャー旅行先として最も人気が高かったのが日本でした。続いて、シンガポール(22%)、香港(21%)、タイ(18%)とアジア圏内の都市が上位に並びました。

一方、出張などビジネス渡航においては、シンガポールが25%で1位、日本は23%で2位にランクインしており、アメリカ・香港(ともに18%)を上回っています。この結果からも、観光・ビジネスの両面で、フィリピン人にとって日本が非常に魅力的で信頼されている訪問先であることが伺えます。

日本とフィリピンの関係はいつから?時代をさかのぼる友好の歴史

日本とフィリピンの関係は、16世紀のスペイン統治時代までさかのぼることができます。当時、日本からの商人や移住者がフィリピンに渡り、特にルソン島には日本人町と呼ばれる定住地が形成されていました。

こうした交流は単なる物資の取引だけでなく、人と人との関係、つまりフィリピン人との結婚や生活の共有など、より深い結びつきもあったとされています。

19世紀末には、フィリピンがスペインからの独立を目指す中で、日本が象徴的に登場します。
独立運動の指導者であるホセ・リサールは日本を訪問し、その文化や民度の高さに感銘を受けたことが記録に残っており、また後に革命軍を率いるエミリオ・アギナルドも日本からの支援を求めて訪れたことがあります。

こうした人的・思想的な交流は、両国の関係を経済や外交を超えた「心の接点」へと発展させていきました。
その後、20世紀には第二次世界大戦を背景に日本がフィリピンを占領するという悲劇的な時代を迎え、多くの犠牲と苦しみが生まれました。
ですが、戦後には日本政府が賠償と復興支援を通じて関係修復に努め、道路や学校、病院など多くのインフラ整備が行われ、現在のフィリピン社会にもその恩恵は引き継がれています。
このような努力が、フィリピン人の間で日本に対する信頼を再構築するきっかけとなり、親日感情の再燃へとつながっていきました。

このように、日本とフィリピンの関係は一筋縄では語れない複雑な歴史を持ちながらも、互いに向き合い、理解と協力を積み重ねてきた歩みがあります。
そしてその積み重ねこそが、今のフィリピンにおける「親日感情」を支える土台となっているのです。

親日を加速させたフィリピン人タレント制度

かつて日本とフィリピンの関係において、特に1980年代から2000年代初頭にかけて重要な役割を果たしていたのが、いわゆる「フィリピン人タレント制度」と呼ばれる制度でした。
これは、フィリピン政府と日本の興行業界との間で築かれた枠組みのもと、フィリピン人の歌手やダンサー、パフォーマーが日本のクラブやキャバレー、ショーパブなどで興行ビザを取得し、短期間滞在しながらステージパフォーマンスを行うというものです。

ピーク時には年間8万人以上のフィリピン人女性がこの制度を通じて来日しており、日本のナイトタイムエンターテインメント業界の一部として定着していました。

この背景には、フィリピン国内の経済状況や就業機会の不足があり、海外での就労が生活の糧を得るための重要な選択肢となっていたことが挙げられます。

しかしながら、2000年代に入り、人身売買や強制労働との関連性が国際的に問題視され始め、特に2005年以降は日本の入国管理制度が大幅に厳格化されました。これにより、興行ビザの発給基準が引き上げられ、英語の語学能力や芸能実績の証明などが求められるようになり、多くの人が来日できなくなりました。

この制度の縮小は、長年にわたって築かれてきたフィリピン人タレントと日本の顧客との間の人間的な交流を断ち切る結果ともなり、エンターテインメントという形をとった国際交流の一つの終焉でもありました。

ただし、この時代に築かれた人と人とのつながりにより、日本とフィリピンの文化的な相互理解の一時代を象徴するものであったと言えます。

フィリピン人は日本のアニメ好き

フィリピンにおける日本への親しみの気持ちを語るうえで欠かせないのが、日本のアニメ文化の存在です。

フィリピンでは1980年代からすでに『ボルテスV』『マジンガーZ』『ドラゴンボール』といった日本のアニメ作品がテレビで吹き替え放送されており、いまでは『ワンピース』『ナルト』『鬼滅の刃』『進撃の巨人』など最新作もリアルタイムに近い形で視聴されています。

特に子どもから大学生、そしてアニメ好きの大人まで幅広い層に浸透しており、アニメの主題歌を日本語のまま歌える人や、コスプレイベントに参加するファンも増えています。

また、学校の日本語クラスではアニメをきっかけに言語や文化への興味を深める生徒も多く、日本への関心の入り口としてアニメが果たしている役割は非常に大きいと言えるでしょう。

さらに、近年はYouTubeやNetflixなどの配信サービスを通じて、フィリピンの地方都市や農村部でも日本のアニメにアクセスできる環境が整ってきており、かつては都市部限定だった日本文化の影響が国全体に広がっています。

アニメをきっかけに「日本に行ってみたい」「日本語を学びたい」と考える若者も多く、こうした文化的親近感は、単なる娯楽の枠を超えて国と国との心理的距離を縮める力を持っているのです。

まとめ

フィリピンの親日感情は、長い歴史と多くの交流を通じて築かれてきました。戦争という苦しい時代を経てもなお、日本とフィリピンは互いに手を取り合い、信頼と友情を深めてきました。

現在も続く文化的交流や経済的支援、人と人とのつながりが、両国の絆をさらに強固なものにしています。フィリピンを訪れる際には、こうした背景を知ることで、より深い理解と感動を得られることでしょう。

今フィリピンは文化的な親和性だけでなく、英語環境や制度面の整備、そして何より日本人に対する寛容な国民性を背景に、ビジネスや投資においても非常に参入しやすい環境が整っているでしょう。

弊社では個別相談なども行っていますので、お気軽にLINEにてお問い合わせください。

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